『宮川淳著作集』内容見本
「宮川淳著作集 刊行によせて――編集委員より」収録。
その出発点においてテロリストのような潔癖さでのっけから絵画における様式概念を暗殺してしまった宮川淳は、にも拘らず、暗殺の凶器を言語をもってしたために、以後、美術批評、美術史研究、文学論、イマージュ論と多彩な分野に相渉りながらも、一貫して、言語に密着した思考を展開した。
宮川と種村は大学の同学年。『宮川淳著作集 II』の種村解説によれば「吉田喜重を介して宮川淳を識った」。石堂淑朗なども加わって同人雑誌「望楼」「構想」をつくっている。
- 作者: 宮川淳,阿部良雄
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 1999/08
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『新版・イメージの博物誌 錬金術 精神変容の秘術』(平凡社)
『イメージの博物誌 6 錬金術 精神変容の秘術』(平凡社、1978年)の新装版が刊行された。A4カバーなしからA5カバー付きになった。収録図版に変更はないようだが、印刷ははるかに鮮明になっている。ざっと見たところでは改訳はされていないが、訳者表記が種村単独から松本夏樹との共訳に変わっている。訳者あとがき等がないので詳細はわからない。旧版で実質共訳だったものを単独訳としていたということだろうか。また、著者名の表記が「スタニスラス・クロソウスキー・デ・ロラ」から「スタニスラス・クロソウスキ・ド・ローラ」に変更されている。旧版は巻数表記があったが、新版にはない。
ちなみに、旧版シリーズ刊行時にあわせて前田常作、矢島文夫との鼎談が「月刊百科」1978年1月号に掲載された(「隠された宇宙のロゴス」)。『天使と怪物 種村季弘対談集』(青土社)に収録されている。
- 作者: スタニスラス・クロソウスキ・ド・ローラ,種村季弘,松本夏樹
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2013/05/17
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- 作者: 種村季弘
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2001/12
- メディア: 単行本
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アントニオ・ロペス展
現在、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス展」が開催されている。種村は1977年に取材でドイツのヴォルプスヴェーデを訪れた際、ハンブルクのブロックシュテット画廊でアントニオ・ロペスの作品を見た。そのことはのちに「みづゑ」1985年冬号に「スペインのレアリストたち――マドリードの四人の画家――」(単行本未収録)で書いている。
スペインの黄金時代、二〇年代のレアリスムの伝統を紹介したうえで、アントニオ・ロペスたちのリアリズムは「神秘や幻想をことごとく剿滅して、仮借のない現実をあらわにしたとき、そこにもなお「魔術と秘密」がほのめく」といい、二つの作品(残念ながら今回の展覧会には来ていない)をとりあげている。
Atocha(「アトーチャ通り」)
http://www.guggenheim-bilbao.es/obras/atocha/
これほど慰めのない、生物学的事実をそのまま投げ出したような性交というものがあろうか。
Woman in the bathtub(「浴槽の娘」)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Lbathtub.jpg
浴槽とそのなかの人間がほとんど互いにしりぞけ合っているように見える。同じモチーフで描いたボナールの浴みする女が、水と浴みするものの一体感を何のためらいもなく物語っているのにひきかえ、アントニオ・ロペス・ガルシアの浴槽の女は死後硬直もさながらに強張って浴槽を拒み拒まれている。
また、アントニオ・ロペスが出演しているビクトル・エリセの映画「マルメロの陽光」の映画評も書いている(「読売新聞」1993年4月12日夕刊7面、単行本未収録)。「一人の画家の制作過程を撮ったドキュメンタリーのふりをした、一種の宮廷物語」であり、「ベラスケスの「ラス・メニナス」の構図」であると指摘している。
種村季弘翻訳書誌・追加訂正
『怪奇・幻想・綺想文学集 種村季弘翻訳集成』(国書刊行会)に掲載されている「種村季弘翻訳書誌」に、追加すべき項目と誤りが見つかりました。お侘びして訂正いたします。今後さらに訂正箇所が見つかった場合はこのエントリに追記し、新しいエントリで告知いたします。
1
追加
「一九五八年(昭和三三年)」
月 | 表題 | 原著者名 | 出版社/掲載書/掲載誌 | 備考 |
---|---|---|---|---|
8 | 廢坑の女 | ローベルト・ムジール | 「文學界」 | 共訳・山下肇 |
(原著者名はムージルが一般的だが、こでは初出の表記とする)
2
「一九七〇年(昭和四五年)」
誤
12 | 新綺想異風派・3 ドゴウィン・エックハルト マニエリスム的ローマ風景 | グスタフ・ルネ・ホッケ | 「みづゑ」 |
正
12 | 新綺想異風派・3 ゴドウィン・エックハルト マニエリスム的ローマ風景 | グスタフ・ルネ・ホッケ | 「みづゑ」 |
3
追加
「一九七一年(昭和四六年)」
1 | 探偵小説の哲学的考察 | エルンスト・ブロッホ | 「日本読書新聞」 | 後半部分の訳 1月25日号から2月22日号まで5回にわたって連載 のち『異化』に収録 |
4
誤
「一九八一年(昭和五六年)」
3 | KYOGEN | ミヒャエル・フェッター | 「エピステーメー」 | 共訳・野村美紀子 |
正
「一九七八年(昭和五三年)」
6 | KYOGEN | ミヒャエル・フェッター | 「エピステーメー」 | 共訳・野村美紀子 |
ミヒャエル・フェッター『しじまの音』(朝日出版社)の初出一覧をそのまま引き写したことによるミスです。
朝吹真理子「『怪奇・幻想・綺想文学集 種村季弘翻訳集成』書評」
8月12日の読売新聞書評欄に朝吹真理子による『怪奇・幻想・綺想文学集 種村季弘翻訳集成』(国書刊行会)の書評が掲載された。見出しは「条理の底が抜けた世界」。ウェブでも読める。
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20120817-OYT8T00997.htm
物語を装飾する言葉のすべてがいかがわしい。はじめはてんで嘘っぱちなこととして物語を愉しんでいたはずが、次第に怪奇的な存在よりも、寧ろ、人間の「想像する」行為自体の方が恐怖の根が深いことを知る。
私たちは条理を通して事象を理解しようとするが、私たちの意識の根っこは、条理など底ぬけの、深い闇のほうにあると思う。だからこそ、幻想や怪奇と呼ばれるものを読むと、みだりがましさに心惑わされ、条理からいっとき抜け出られた自由に安堵するのだ。
この「条理など底抜けの、深い闇」というのは、諏訪哲史の書評にあった「文学のタガを外す不発弾」という表現に通じていておもしろい。
松田哲夫「松田哲夫の愉快痛快人名録 ニッポン元気印時代」第12回 種村季弘さん(「週刊ポスト」2012年7月20・27日号)
東京都立大学の学生新聞への寄稿を依頼しに行って断られた初対面のエピソードから、没後刊行されたエッセイ集『雨の日はソファで散歩』まで、編集者からみた種村先生の横顔が描かれている。
種村さんとの電話は、「時によると一時間を優に越え、二時間に迫ることすらあるのだ。しかし、この人の長電話の迫力は、時間的な長さにあるのではない。中身の桁外れな博覧強記ぶりと話術の絶妙さにこそ真骨頂がある。仕事の打ち合わせを皮切りに、文壇の最新の事件に飛び、そこから日本文学の運命へと続き、記号論、ポスト構造主義、ユングなどをめぐって、米ソの世界戦略からテクノクラートの世界へと進み、はては文壇の大御所から今を時めく気鋭の学者まで、あたるを幸いバッタバッタと斬りまくるのである。
都立大全共闘が旧館をバリケード封鎖し、新館に依拠した民青と投石合戦を始めた時のことだ。種村さんは、はじっこの非常階段から、その様子を興味深げに眺めていた。当時、全共闘に共鳴もせず、かといって忌避もしないで、純粋な好奇心から事態を観察している教師は、彼ひとりしかいなかった。
この野次馬精神は、たとえば「幻想文学」4号(幻想文学会出版局、1983年)に掲載されたインタビュー「完全不在のスペクタクル・エッセイ」中でも、窓から見えるビルの屋上ではじまった喧嘩を見物するくだりなどでも見ることができる。ちなみに同インタビューは『幻想文学講義 「幻想文学」インタビュー集成』(国書刊行会、近刊)に収録予定。
そして、種村さんは、新しいものへの好奇心が旺盛で、とりわけ新しい才能の登場には敏感に反応した。椎名誠さん、野田秀樹さん、浅田彰さんなどは、いち早くブームがくることを予見していた。おかげさまで、ぼくは『逃走論』というベストセラーを出すことができたのだ。
人さし指を立ててにやりと笑う種村先生を描いた南伸坊のイラストもとてもいい。
- 作者: 種村季弘
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- 作者: 東雅夫
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- 作者: 浅田彰
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