青野賢一『迷宮行き』

 8月29日は種村季弘の十三回忌だった。命日にはtwitterで言及する人も少なくなかったが、その中に青野賢一氏がいた。かつて種村のスーツについて書いたことがあるとのことで、読んでみたいとツイートしたら、ありがたいことにご本人から返信があり掲載書を教えてくださった。
 
 「種村季弘の背広、あるいは詐欺師とスーツ」を収録したその本のタイトルは『迷宮行き』(天然文庫)。「迷宮」はいうまでもなく種村ワールドの核にある言葉である。「音」「芸術」「装い」「日々」と題された各章に収録された文章からは青野の文学、音楽、芸術への造詣がうかがえるが、「この人の文章や発想力に影響を受けた」と語っているように、種村の強い影響が随所に見える。件の文章のほかにも「サンタクロースとカスパール・ハウザー」「澁澤龍彦のこと」といった文章もあるし、全体にわたってゴーレム、錬金術、胎内回帰願望といったおなじみのキーワードがちりばめられており、種村ファンならニヤリとすることしばしばであるに違いない。ちなみに現在「ミセス」で連載している音楽レビューのタイトルは「音楽マルジナリア」で、こちらは澁澤ファンがニヤリとするところである。
 
 さて、本題の「種村季弘の背広、あるいは詐欺師とスーツ」は、『KAWADE道の手帖 種村季弘 ぼくたちの伯父さん』(河出書房新社)掲載された松山巌坪内祐三対談「大隠は市に隠れる 種村さんが与えてくれたもの」の発言をきっかけに種村のスーツスタイルについて考察したものである。
 
 まず、松山・坪内対談の該当箇所を引いておく。
 
坪内 それで詐欺師が好きだから、大学の教師である自分というのは一種の詐欺師として演技していたんじゃないですかね。
松山 そうね、いかにも大学の先生風でもありますね、着ているものでも。
坪内 だから詐欺師っていうのは変な格好はしないわけですよね、きちっとしたスーツにネクタイというのが詐欺師だから(笑)。
松山 いわゆる大学出の先生の方が派手な格好をしてたりね(笑)。いいのかなって思うけど、そこでアイデンティティを保とうとおもっているのか、そういう人がいるけど。種村さんはわざと平々凡々としていたところがあったのかな(笑)。

 

 これを受けて青野は次のように分析する。
 
そういう視点で、種村季弘の写真を眺めると、確かにごく普通のスーツに、きちんとネクタイを締めているのだが、どうも胡散臭くて仕方がない。モノクロ写真なので、その色あいは定かではないが、ダークな色調の、身体にぴったりと沿ったサイズのスーツに、白のいたってシンプルなレギュラーカラーシャツ、そしてこれまたシンプル極まりないタイを合わせたその着こなしは、およそ派手さとは無縁のもの。しかし、どうだろう。この怪しさは! どうやら内面の詐欺師ぶり(失礼!)が服をすり抜けて露呈してしまっているのだ。
 
 『別冊幻想文学 怪人タネラムネラ 種村季弘の箱』(アトリエOCTA)掲載の写真を見ると、大学以外の場所ではノータイであることが多かったが、こちらは逆に美術家や作家たちに紛れ込むという意図があったのかもしれない。いずれにせよ、目立つことを避けるのが種村流服装術といっていい。ただし、ここでもやはり怪しさは隠しきれていないように思う。
 
 いやむしろ、隠そうとしていないというべきだろう。種村は最後の最後で馬脚を現してしまう詐欺師をこそ好んだからだ。正体が明かされることを前提にした服装。諏訪哲史も「数多くの肩書きを持ち、複数の専門領域の横断によってわれわれを煙に巻く種村の「怪人性」や「詐欺師性」には、「自分の正体の知れなさ」を自覚し、意図的に世界の裏側を遊行しているふしが見受けられる」(『新編・日本幻想文学集成 1』解説「万華鏡の破れ穴」)と書いているように、すべては計算ずくである可能性が高い。
 
世界からオリジナルに突出することなどは願い下げで、すでにすべてのものが言われ、見つけられたこの世界の、一つ一つの細部にもぐり込み、これを変装し、他人のペルソナ(仮面=人格)を通して語りながら、それらの一つ一つを無数の切子面とする巨大な球体宇宙を具現することこそが問題なのだ。
種村季弘ゲーテの変装」(『種村季弘のネオ・ラビリントス 2 奇人伝』) 

 

 
 肩書蒐集も服装術も、あらゆるペルソナをまとうための戦略だとすれば、もはや実体は必要ない。種村季弘なるものは、さまざまなペルソナのなかに偏在している。Haresu の最期の言葉は種村自身についての予言でもある。
 
 

「私はまた来る。」

「Haresuはまた来る」(『偽書作家列伝』)

 

 

迷宮行き

迷宮行き

 

 

種村季弘 (KAWADE道の手帖)

種村季弘 (KAWADE道の手帖)

 

 

種村季弘の箱―怪人タネラムネラ (別冊幻想文学 (13))

種村季弘の箱―怪人タネラムネラ (別冊幻想文学 (13))

 

  

奇人伝 (種村季弘のネオ・ラビリントス)
 

 

偽書作家列伝 (学研M文庫)

偽書作家列伝 (学研M文庫)

 

 

諏訪哲史講演「偏愛蔵書室、文学の舶来幻術師-日影丈吉」@町田市民文学館ことばらんど

12月20日まで町田市民文学館ことばらんどで開催中の「没後25年 日影丈吉と雑誌宝石の作家たち」展の関連イベントとして11月15日に諏訪哲史の講演会が開催された。諏訪は國學院大學で種村の教え子であり、第137回芥川賞を受賞したデビュー作『アサッテの人』は種村に捧げられている。 

 

アサッテの人 (講談社文庫)

アサッテの人 (講談社文庫)

 

 

日影については、幻想文学・純文学的な作品と通俗的な作品を並行して手がける両面性、志賀直哉梶井基次郎の影響(特に晩年)、宮崎駿作品との共通点、人生にシナリオをつくらない執着心のなさといった視点で論じられたが、来年諏訪編による選集の出版企画があり解説で詳細に論じられると思うので、ここでは種村と関わりのある話題のみを簡単にまとめておく。

 

種村は『日本怪談集』で「ひこばえ」を選んでいるが、一番好きな作品は「吉備津の釜」だったのではないかという指摘。これについては『日本怪談集』の編集に協力した高遠弘美が来場しており、講演終了後に「編集会議で種村から「吉備津の釜」と「ひこばえ」とどちらがいいだろうか聞かれた」という証言が得られた。

 

日本怪談集〈上〉 (河出文庫)

日本怪談集〈上〉 (河出文庫)

 

 

日本怪談集〈下〉 (河出文庫)
 

 

日影の正体のわからなさについて。種村が自らの怪人性・詐欺師性を自覚しており「正体なんてない」というところから出発しているのに対し、日影は自分自身でも自分がわからないというようなところがあったのではないか。

 

日影丈吉選集V 崩壊』(河出書房新社)の解説に書かれているエピソードについて。

前記の泉鏡花賞受賞パーティーの帰途のことだ。一緒になった古手の編集者が耳元にささやいた。「種村さん、あれは(と当日の主賓の温顔を思い起させながら)……犯罪者の顔ですよ」 

これは種村の創作で種村自身が 日影の顔を犯罪者のようだと思ったのではないかと推測。

没後25年日影丈吉と雑誌宝石の作家たち@町田市民文学館 ことばらんど

10月17日から12月20日まで町田市民文学館 ことばらんどで「没後25年日影丈吉と雑誌宝石の作家たち」展が開催される。種村は『日影丈吉選集』全五巻(1994-95年、河出書房新社)の編集・解説を担当したほか、『日影丈吉全集』(2002-2005年、国書刊行会)でも監修を務めている。

また、関連イベントとして11月15日に種村の教え子でもある諏訪哲史、11月23日にはアンソロジスト東雅夫の講演会をはじめ、朗読会、上映会なども予定されている。

会期:2015年10月17日(土曜日)から12月20日(日曜日)
休館日:月曜日(ただし、11月23日は開館)、第2木曜日
会場:町田市民文学館2階展示室
観覧時間:10時から17時(入室は16時30分まで)
入場料:一般400円、大学生・65歳以上200円、高校生以下無料
特別協力:県立神奈川近代文学館/公益財団法人神奈川文化振興会
協力:大田区立郷土博物館、世田谷文学館、ミステリー文学資料館、弥生美術館、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化センター、国書刊行会


http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/20150825143124461.html

日影丈吉選集 全5巻

日影丈吉選集 全5巻

日影丈吉全集〈1〉

日影丈吉全集〈1〉

ウラヌス星風『西洋占星学研究集成 神秘への扉 タローカード入門』(虹星人叢書)

http://www008.upp.so-net.ne.jp/siki/tarot.htm

「奇想天外」1974年7月号から10月号にかけて、種村とウラヌス星風のあいだで繰り広げられた「タロット×タロー論争」を、種村の応答を含めてすべて収録している。たいへん貴重な資料であり、労作だ。解題も行き届いた調査に基づきつつ中立を保ったものになっていて、感心した。こうした基礎作業は地味で手間がかかるわりになかなか評価されないものなので、発行者の五所光太郎さんの熱意と行動力には頭が下がる思いだ。

タロットかタローかという問題については、立場によっても見解は変わるのではないかと思われる。タロット史研究者K@夢然堂さんのツイートに掲げられているリンク先の内容が参考になる。

『詐欺師の勉強あるいは遊戯精神の綺想 種村季弘単行本未収録論集』(幻戯書房)

f:id:tanemuramemo:20140724012118j:image:w360
四六上製704頁 本体8500円 
ISBN978-4-86488 -052-7 C0095
編集協力:齋藤靖朗
装幀:緒方修一
挿画:山本もえ美「植物教会の授業」二〇一四

[帯表]
あたかも美しい無権力状態(アナーキー)の螺旋
文学、美術、吸血鬼、怪物、悪魔、錬金術、エロティシズム、マニエリスムユートピア、迷宮、夢——聖俗混淆を徘徊する博覧強記の文章世界。没後10年・愛蔵版

あらゆる色の不在であるような夜は、ついにあらゆる色の共在であるような夜に転位され……巨匠と奇人芸術家、大芸術といかがわしいポルノグラフィー……世界を普遍性においてではなく、その分裂性と多様性においてそのまま救済する……すなわち世界は、そしておそらく宇宙もまた、玩具の集合体でなければならぬ……まぁ、本を読むなら、今宣伝している本、売れている本は読まない方がいいよ。世間の悪風に染まるだけだからね。

[帯裏]
ニュートンの林檎が万有引力を証明する以前には、ものみな重力の汚染を知らなかった。それなら人は万有引力の法則の成立不能を証明して、ニュートン以前の空間に立ち戻るのでなくてはならぬ。
万有引力の失効したその空間では、宇宙ロケットなんぞなくても、だれでも秋空のトンボのようにすいすいとび、遠いものは近く、近いものは遠くなって、とぶ男と堕ちる男との分身関係は消滅し、人はいまここで何をしていようと飛行しているのである。……中略……
「さよう、それが世界史の最終章なのです。」(本文より)

[帯背]
偏在の、多様でありながら一であることの神話

[目次と初出]
夢記:「たまや」第3号(山猫軒、2006年2月)

Prolog
落魄の読書人生:「I・DO」1994年10月号
ペテン師、世界を駆ける:「BRUTUS」1995年3月15日号
小説の生体解剖 ローベルト・ムージルの『特性のない男』:「週刊時代」1977年6月21日号

I
転んだあとの杖:『ドイツ・ロマン派全集8』月報(国書刊行会、1984年1月)
変身の万華鏡 ホフマン『ブランビラ王女』:「すばる」1989年10月号
ホフマンの百面相:『集英社ギャラリー[世界の文学] 10 ドイツⅠ』(集英社、1991年5月)
『ホンブルク公子』と病める言語:「駒澤大学文学部紀要」第23號(1965年3月)
非人間的なものの浮力について:『ドイツ・ロマン派全集11』(国書刊行会、1990年7月)
ヒュメナイオスの死:「MR ミスター・ハイファッション」1999年6月号
否定の弁証法  M・ブランショカフカ論』:「日本読書新聞」1968年10月21日号
マイナーの文体について:「文体」6号(1979年新年号)
鏡の此方側の弱い男から鏡の向う側の強い男へ:「話の特集」1976年11月号
もう一つの「イマーゴ」:「イマーゴ」1990年1月号
パニッツァ復活:「ちくま」1991年6月号
道化服を着たマイリンク:『バベルの図書館12 ナペルス枢機卿』月報(国書刊行会、1989年4月)
遅れてきたSF作家 シェーアバルト:「週刊朝日百科 世界の文学」19号(1999年11月)
まだ殺されていない子供たちのために 笑うペシミズムの哲学者W.ブッシュ:「図書」1986年9月号
言語=死体の分身 飯吉光夫『パウル・ツェラン』:「現代詩手帖」1978年1月号
みじろぐ声:『パウル・ツェラン全詩集』内容見本(青土社、1992年4月)
のらくら者の国 ローベルト・ヴァルザー『ヴァルザーの詩と小品』:「朝日新聞」2003年12月7日
未成年幻想:「海」1982年12月臨時増刊号
のっそりと我もゆかん ハラルト・シュテンプケ『鼻行類』:「朝日新聞」2002年12月22日
パトリック・ジュースキント『香水』:「文藝春秋」1989年4月号

II
綺想と驚異の十篇:「幻想文学」17号(1987年1月)
二十世紀の名著 私の三冊:「東京新聞」1996年10月6日・13日・20日
百鬼夜行西欧中世お化け屋敷案内図:「朝日ジャーナル」1986年4月1日臨時増刊号
『カルミナ・ブラナ』を聴きながら:「世界」1988年6月臨時増刊号
ヴァイキング式百冊の本:「リテレール」3号(1992年9月)

III
鉱物学的楽園:「ちくま」1973年1月号
聖女の宝石函 ビンゲンのヒルデガルドの「石の書」:「ミセス」1991年2月号
宝石と王と錬金術:「モノンクル」No.6(1981年12月)
宝飾の歴史と文化:『The 宝石 PARTⅡ』(読売新聞社、1976年1月)
花の怪物:「草月」74号(1970年12月)
魔草マンドラゴラ:「幻想と怪奇」1号(1973年1月)
無頭人の戴冠式 マンドラゴラの変身:「Front」1999年5月号
一角獣:『夢万年 聖獣伝説』(講談社、1988年4月)
バロックの蒐集理論 フェルディナントとルドルフ:『バロック・コレクション1 バロックの愉しみ』(筑摩書房、1987年7月)

IV
エロチシズムの世界意志:『性の思想』(太平出版社、1969年6月)
霊のポルノグラフィー クロソウスキー『肉の影』:「日本読書新聞」1967年5月15日号
死とエロスの戯れ レオノール・フィニのサテュリコン:「芸術生活」1972年1月号
海洋的退行願望 アナイス・ニン『近親相姦の家』:「日本読書新聞」1969年10月20日号
生と死の二元論的対立 N・O・ブラウン『エロスとタナトス』:「日本読書新聞」1970年7月6日号
冥婚とネクロフィリー:『日本古典評釈全註釈叢書 雨月物語評釈』月報(角川書店、1969年3月)
黄金時代と歌:『変態大画報』(駿河台書房、発行年月日不明)

V
悪魔についての五問五答:「ニューミュージック・マガジン」1973年2月号
VAMPIRE 吸血鬼:「anan」1970年4月5日号
暗い美青年:「ドラキュラ――その愛」パンフレット(サンシャイン劇場、1979年5月)
私の吸血鬼研究:「図書新聞」1968年9月21日号
東西の感性の二人三脚 レイモンド・T・マクナリー、ラドゥ・フロレスク『ドラキュラ伝説』:「週刊ポスト」1979年5月11日号
篤学の愉悦 栗原成郎『スラヴ吸血鬼伝説考』:「週刊ポスト」1980年8月8日号
洋の東西怪談比較:『平成十一年度 江戸東京自由大学 怖い、見たい、面白い―ミステリアス江戸東京―』(「江戸東京自由大学」事務局、1999年10月)/同講演原稿
ポー、あるいは時間の恐怖:『黒猫』(集英社文庫、1992年5月)
郷愁としての恐怖 『アーサー・マッケン作品集成』:「日本読書新聞」1973年6月11日号
自動車と怪談:「小説現代」1969年2月号
本格的怪談の醍醐味:『世界怪談名作集 下』(河出文庫、1987年9月)
幻視者の推理小説 C・ウィルソン『ガラスの檻』:「日本読書新聞」1967年11月6日号
双面の悪魔:「海」1972年12月号
黒い案内書(ギド・ノアール):「芸術新潮」1971年11月号

VI
神話の中の発明家:『東京大学教養講座11 機械と人間』(東京大学出版会、1985年1月)
十八世紀文学的骨董品 アレン・カーズワイル『驚異の発明家の形見函』:「朝日新聞」2003年02月16日
編集者の伝記:「日本近代文学館」第103号(1988年5月)
ミヒャエル・フェッターあるいは遊戯三昧としての宇宙:「エピステーメー」1978年6月号
空想文字博物館:『イメージの冒険3 文字』(河出書房新社、1978年8月)
ヤヌスの文字:『人間と文字』(平凡社、1995年4月)
隠秘論的夢想の世界 シャルル・フーリエ『四運動の理論』:「週刊読書人」1971年3月29日号
ポストモダン小説の極致 董若雨『鏡の国の孫悟空 西遊補』:「朝日新聞」2002年4月21日

VII
東西島物語考:『集英社版世界の文学17 ゴールディング』月報(集英社、1977年4月)
まじめな顔した遊び:「朝日新聞」1984年5月21日
空想名所案内:「太陽」1976年9月号
夢遊者の宇宙旅行:「NW-SF」Vol.1(1970年7月)
とぶ男・寝ている男:「is」Vol.45(1989年9月)
ユートピアの終焉:「週刊にんげん百科」103号(1975年8月)
世界の終りの日から:「週刊にんげん百科」104号(1975年9月)
終末と発端のはざま:「太陽」1977年2月号

VIII
古典主義者の愛の冒険譚 エウヘーニオ・ドールス『バロック論』:「美術手帖」1970年8月号
バロックの本:「EYES」5号(1993年12月)
奇抜なメランコリーの世界 マニエリスム文学について:「週刊朝日百科 世界の美術」1979年2月25日
「疎外」と「自己愛」 アーノルド・ハウザー『マニエリスム』:「週刊読書人」1970年12月21日号
本格的かつ野心的なマニエリスム研究 若桑みどりマニエリスム芸術論』:「朝日新聞」1981年2月2日
迷宮としての世界 現代芸術とマニエリスム:「美術手帖」1965年3月号
色濃いペシミズム G・R・ホッケの『絶望と確信』を読んで:「読売新聞」1975年4月14日
神を感じる技術としての日記 グスタフ・ルネ・ホッケ『ヨーロッパの日記』:「朝日ジャーナル」1991年5月31日号
物体の軌跡:『シュルレアリスム宣言/溶ける魚』栞(学芸書林、1974年12月)
ブラック・ユーモア その後 アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』:「週刊読書人」1969年4月7日号
悪の分光器 ホルヘ・ルイス・ボルヘス『悪党列伝』/ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサレスボルヘス怪奇譚集』:「日本読書新聞」1976年9月27日号

IX
暗黒小説のきわめつき J・K・ユイスマンス『彼方』:「週刊読書人」1975年6月23日号
空間表象の考察 ミルチャ・エリアーデ『聖と俗 宗教的なるものの本質について』:「SD」1970年1月号
聖化された宗教的人間論 ロジェ・カイヨワ『人間と聖なるもの』:「出版ニュース」1970年2月中旬号
二つの世界の間で ケレーニイ断想:「現代思想」1973年8月号
よみがえる古代的実存 カール・ケレーニイ『神話と古代宗教』:「中央公論」1972年8月号
太古の老婆を離れて:「現代思想」1977年5月臨時増刊号
無意識の言語の解読 C・G・ユング『人間と象徴』:「日本読書新聞」1972年10月23日号
孤独者ライヒ:「状況」1971年増刊号
逆さ吊りのフールが演ずるアクロバット ウィリアム・フィルフォード『道化と笏杖』:「中央公論」1983年8月号
解体の様式、様式の解体 ヴォルフガング・カイザー『グロテスクなもの』:「日本読書新聞」1968年4月29日号
普遍宇宙へのメッセージ ワイリー・サイファー 『現代文学と美術における自我の喪失』:「出版ニュース」1971年12月中旬号
透明な文体 エリアス・カネッティ『群集と権力』:「朝日ジャーナル」1972年1月21日号
ここに第二のフェデリコと…… ダンテとフリードリヒ二世:「國學院雑誌」1989年11月号

Epilog
災害解釈の精神史 クライストの地震小説について:「地震ジャーナル」24号(1997年12月)

解題(齋藤靖朗)
略伝(齋藤靖朗)

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迷信博覧会 (ちくま文庫)

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